音楽ジャーナリスト/ラジオパーソナリティー/選曲家の高橋芳朗さんに、DGEP「IRiS」の楽曲解説をしていただきました!
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変化の予兆は確実にあった。だが、これほどまでの突き抜けた進化を遂げることになろうとは、思いも寄らなかった。新曲2曲を含むSARMの実に4年半ぶりのEP『IRiS』。この2年にわたる彼女の劇的な変容を捉えた内容は、わずか20分弱の収録時間からは計り知れない濃密な音楽体験を与えてくれる。
SARMの変化の兆候は、昨年8月リリースの「DOVE QUEEN」に端を発する。当時は「BONBON GiRL」が2020年10月のリリースから2年の歳月を経て突如火がついた直後。TikTokでのバズを足掛かりに『Billboard Japan』やSpotifyのチャートを席巻した同曲のブレイクを受けて、SARMの「次の一手」に注目が集まっていたタイミングだった。
定石通りにいけば、ここは「BONBON GiRL」の路線を継承する楽曲を用意して「追撃」を図る局面だろう。なにせ、さまざまなメディアを合計した同曲の総再生回数は約6億回にも及んでいるのだ。しかも、この曲には単なるヒット曲以上の意義があった。エイミー・ワインハウスを想起させる「BONBON GiRL」で打ち出したヴィンテージなソウルサウンドは、ジャニス・ジョプリンやニーナ・シモンへの憧憬を公言してきたSARMのブルージーな持ち味を活かす上で格好のモチーフだったのだ。
だが、SARMはあえてセオリーを踏襲しなかった。それはもしかしたら「BONBON GiRL」によってある一定の成果を達成した自負があっての決断だったのかもしれないが、彼女が選んだのは自身の表現をさらに拡張していくこと、そして自らのポテンシャルを信じて未知の領域に踏み込んでいくことだった。
そんなSARMが掲げた新しいヴィジョンは、ダンスミュージックを軸とする現行のトレンドのサウンドと日本の伝統音楽を融合すること。それに乗せて広義での愛や死生観といった人生の諸行無常を歌うこと。もちろん、これは思いつきや行き当たりばったりに生まれたものでは決してない。むしろ、もともと彼女が持ち合わせていたエレメントを集大成するようなテーマといえる。
「BONBON GiRL」のヒットの効果もあってSARMにはリズム&ブルースやソウル、あるいはジャズのイメージが強いかもしれないが、実はドラムンベースをはじめとするベースミュージック/クラブミュージックを好んで聴いてきたエッジーな側面もある。また、家族が三味線を嗜んでいたりと、彼女は幼少期から日本のトラディショナルな音楽に慣れ親しんできたバックボーンも備え持っている。
その影響もあるのだろうか、SARMは多大なインスピレーションを得たシンガーのひとりに美空ひばりを挙げているが、そこからもわかるように「和」の情緒は元来彼女の歌に高い濃度で含まれていたエッセンスであり、それがSARMという歌い手の独自性を担う重要なファクターになっていた。精神世界を深く掘り下げていく歌詞に対する取り組みにしても、彼女がダンテ『神曲 天国篇』やヘッセ『シッダールタ』を座右の書としていることを踏まえれば合点がいくだろう。
こうしたSARMの新基軸の最初の成果となる2曲、JiNをプロデューサーに迎えて現行のR&Bサウンドにアプローチした「DOVE QUEEN」と流行のジャージークラブのビートを導入した「Ai ga shitaino」は、いずれもそれまでの彼女のディスコグラフィに照らし合わせると明らかに趣を異にしていた。だが、それでも彼女が内包するヴァリエーションのひとつとして一切の違和感なく受け入れられたのは、やはりSARMのそもそもの資質によるところが大きかったのだだろう。
この「DOVE QUEEN」と「Ai ga shitaino」によって新たな方向性への確信を得たSARMは2024年最初のシングル、冨田ラボ/冨田恵一と作り上げた「Tefu Tefu」によって「現行ダンスミュージックと日本の伝統音楽との融合」という構想をいきなりハイレベルで具現化してしまう。ここでは近年リバイバルしているドラムンベースに和楽器や和音階を取り込むことで唯一無二の幽玄なサウンドスケープを構築。これまでになくたおやかな魅力を増したSARMのヴォーカルと生命の本質に迫る深遠なリリックと相まって、森羅万象を巻き込むような巨大なスケールの音世界を描き出すことに成功している。SARMは「Sun and Moon」を意味するその名にふさわしい神秘性を手中にしたのだ。
そして「Tefu Tefu」を経てSARMが辿り着いた新しい境地が今回の2曲の新曲、「高級フレンチよりもあなたとつくる深夜のフレンチトーストがすき。」と「IRiS」になる。このふたつの大作から浮かび上がってくるのは、いまの彼女が言わば無敵モードのような状態に突入しつつあること。「現行ダンスミュージックと日本の伝統音楽との融合」をはじめとする数々の課題はもはやそれを意識させないほどの練度に達し、すでにSARM固有のスタイルとして完全に血肉化している印象がある。
特にEPの冒頭を飾る「高級フレンチ~」は強烈だ。比較対象が見当たらない圧倒的な独創性、先の展開がまったく読めないスリリングな前衛性、一度耳にしたら逃れられない魔力のごとき中毒性は、「BONBON GiRL」のヒットで流布したSARMのパブリックイメージを一瞬にして塗り替えるインパクトを秘めている。プロデュースを務めるのは、かねてからコラボレーションの機会をうかがっていたという鬼才Chaki Zulu。サウンドのみならずリリックでも彼の協力を仰いだことが功を奏したのだろうか、時に呪術のように響くSARMのヴォーカルパフォーマンスも一層凄みを増してきている。
「地球最後の日になにげない日常が特別だったと想い描く物語」を歌った「高級フレンチ~」は「大切な人の死」を題材にした「Tefu Tefu」とコインの表と裏の関係にある曲とも受け取れるが、もうひとつの新曲、SARMが夢で見た神秘体験に基づいて「生まれてきた意味」を問い掛ける「IRiS」に関しては「DOVE QUEEN」以降向き合ってきた彼女なりの死生観を総括するようなところがある。この曲はSARMにとって新境地となるキャリア初の本格的なバラードになるわけだが、壮大な題材を生命を祝福するエンパワーメントソングへと昇華した技量は見事と言うほかないだろう。
この「IRiS」に象徴的だが、持ち前の人間臭いブルース感覚を基盤に置きながらも、どこか神々しいオーラをまとい始めたSARM。新しいチャプターの幕開けを予感させる今回のEPを経て、もはや孤高の域に到達した感のある彼女はこれからどこへ向かうのだろうか。その一挙手一投足から、目が離せない。
高橋芳朗